量子コンピュータの開発は世界中で加速度的に進んでおり、さまざまな実装方式が競争と協調の中で発展しています。主要な実装方法を整理し、それぞれの特徴や現在の開発状況を概観すると、特に注目すべきは、従来の予測を上回るスピードで技術革新が進んでいることと、量子技術の社会実装に向けた産業界の関心の高まりです。日本においても、ムーンショット型研究開発事業を中心に国家プロジェクトが進められており、世界的な量子技術競争の中で独自の強みを活かした研究開発が進められています。
量子コンピュータ実装方法の概要
量子コンピュータの実装方法は大きく分けて、「量子ゲート方式」と「量子アニーリング方式」の2つに分類されます。
量子ゲート方式は、量子ビット(キュービット)に対して量子ゲートと呼ばれる操作を適用することで計算を行います。理論上はあらゆる計算問題に対応可能な「汎用量子コンピュータ」の実現を目指す方式です。一方、量子アニーリング方式は、最適化問題を解くことに特化した方式で、問題を「エネルギー最小化問題」として定式化し、量子的なトンネル効果を利用して解を探索します。
今回は、複数の実装方式が存在する、量子ゲート方式について取り上げます。
各実装方式の特徴と開発の最前線
量子ゲート方式の量子コンピュータの実装方式は使用する物理系によって分類できます。主な方式には、超伝導量子ビット、イオントラップ、光量子、シリコン量子ドット、冷却原子などがあります。各方式にはそれぞれ固有の利点と課題があります。
超伝導量子ビット方式は、超伝導回路に閉じ込めた電子を量子ビットとして利用します。IBM、Google、OQC(Oxford Quantum Circuits)などが採用している方式で、高速な量子ゲート操作が可能という利点がある一方、極低温環境が必要というインフラ上の課題があります。日本では、富士通が研究開発を進めたコンピュータが理化学研究所にて稼働しています。
イオントラップ方式は、電磁場でイオンを捕捉して量子ビットとして利用します。IonQ、Quantinuumなどが開発を進めており、比較的長時間の量子コヒーレンスを維持できる利点がありますが、イオンを操作するためにはレーザー冷却により極低温環境が必要です。日本では、大阪大学を中心としたグループがイオントラップ方式の基礎研究を進めており、長時間コヒーレンスを維持する技術の開発に取り組んでいます。
光量子方式は、光子の量子状態を利用する方式で、室温で動作可能かつスケーラビリティに優れています。Xanadu、PsiQuantum、OrigenQなどが開発を推進しており、特に量子通信との統合性の高さから注目されています。また、日本では、OptQCやNTTがこの分野で研究開発を進めています。量子鍵配送(QKD)などの量子通信技術の商業化に向けた取り組みとの連携も視野に研究開発が進んでいます。
シリコン量子ドット方式は、半導体技術を基盤とするため、既存の半導体製造プロセスとの親和性が高いことが特徴です。インテル、マイクロソフトなどが開発を進めており、スケーラビリティの高さが期待されています。日本では、理化学研究所の共同研究チームがシリコン量子ドットにおける高精度量子操作の実現に成功しています。
冷却原子方式は、レーザー光により捕捉・冷却された中性原子を量子ビットとして利用する方式です。QuEra Computing、Pasqal、Atom Computingなどが開発を推進しています。この方式の大きな特徴は、自然界に存在する同一原子(主にルビジウムやセシウムなど)を使用するため、すべての量子ビットが本質的に同一であることです。これにより、製造のばらつきによる誤差が少なく、高い均一性を実現できます。
これらの方式は一長一短があり、「どの方式が最終的に生き残るか」というよりも、用途や目的に応じて複数の方式が共存していく可能性が高いと考えられています。実際、大手クラウドプロバイダーは複数の方式の量子コンピュータへのアクセスを提供し始めています。

量子コンピュータを支える関連産業の事業機会
量子コンピュータ単体の商用化と市場導入においては欧米や中国の企業が先行していますが、新産業のバリューチェーン全体に視野を広げると、日本にはさらに独自の強みがあります。量子コンピュータ単体だけでなく、その実行環境とユーザー利用を支える周辺技術や関連産業において、日本企業が競争力を発揮できる可能性がある領域は少なくありません。
例えば、NTTは量子暗号通信や光量子技術において世界トップレベルの研究開発を行っています。2022年には、量子もつれ状態を用いた新たな光量子技術の実証に成功しており、将来の量子インターネット構築における重要な技術的基盤を確立しています。また東芝も、量子鍵配送(QKD)技術の開発で世界をリードしており、2021年には世界最長600kmの量子通信に成功しています。さらに、実用化に向けた取り組みも進んでおり、2023年にはロンドン市内での金融機関向け量子暗号ネットワークの商用運用を開始するなど、量子セキュリティ分野で着実に実績を積み重ねています。
さらに、東京エレクトロンをはじめとする半導体製造装置メーカーは、量子チップ製造に必要な超精密加工技術を有しています。特に超伝導量子ビットやシリコン量子ドット方式においては、ナノレベルでの精密な加工が不可欠であり、この分野での日本企業の技術力は国際的に高く評価されています。
文部科学省が主導する「ムーンショット型研究開発事業」では、「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」することを掲げており、国家レベルでの研究開発支援も強化されています。当初の予測より早いペースで技術開発が進んでいることから、この目標の前倒しでの達成も期待されます。
産業応用促進のためのエコシステム構築
量子技術の産業応用を促進するためには、技術開発(ハードウェア)と事業応用(ビジネス)の間の橋渡しを行うエコシステムの構築が不可欠です。世界的に見ても、この橋渡しの役割は量子技術の社会実装において重要な課題として認識されています。
特に、量子コンピュータのような先端技術は、開発者側と利用者側の間に大きな知識ギャップが存在します。このギャップを埋めるためには、両者の対話を促進し、実際のビジネスニーズに即した技術開発や応用研究が進められる環境が必要です。
こうした状況において、Q-STARは日本における量子技術の産業応用を促進するプラットフォームとして、産業界、学術界、政府機関の橋渡し役を担っています。特に、量子技術の供給側と利用側が一堂に会して議論できる場を提供することで、実業務に即したユースケース開発や技術評価を可能にしています。また、海外の量子技術コミュニティとの協力関係も構築しており、グローバルな視点での技術動向把握や日本の強みを活かした国際協力の模索も進めていきます。
量子技術のエコシステムにおいては、ハードウェア開発だけでなく、アルゴリズム開発、ソフトウェア開発、アプリケーション開発、そして人材育成まで含めた総合的な取り組みが不可欠です。日本の強みである精密製造技術や材料科学、システムインテグレーション能力を活かし、量子技術の社会実装を加速させることが期待されています。